だめだだめだ
7月、酸素をすればきっと良くなる、膵臓に酸素が行き届くって考えて必死で引っ越し先探して、そのうちに引っ越せばなんとかなるってみんな思うようになってしまっていた。
毎日測っていた体重も測らず、ミネラルビタミンの計算もせず、アレルゲンも脂質も、そして8月脱水が進行していたのも、どうして計算しなかった?
薬の機序も用法もわからない病院ばかり何十軒と存在しているというのに、どうして自分たちでなんとかしようとしなかった。
足悪いのに抱っこばかりつらいかなではないんだ。体重が最も重要なんだそれで現状把握するべき
8月終わりには母も焦ってきて何でまだ引っ越せない見つからないんだお前死ねとかKYだからお前はゴミとか言うようになり、とにかく向こうに行ければ回復出来るのにーその一念はお互い同じだった。それがそもそも間違いだった。
焦りが下痢が最悪になり血尿と嘔吐が出た時マンスリーマンション借りて向こうに行こう。と決めた
もうそれしかこの3ヶ月を取り戻せないと
なぜ一旦V字回復してからの体重減少が脱水であり、6月同様に膵炎であると気づかなかったか。
あの時「絶対治すからね良くするからね」そう、
だめだだめだ
とりあえずのかかりつけとしてМ町動物病院
酸素を目指して酸素のある動物病院。
その両方へのアクセス、出来る限り酸素のある方に近いところの物件を探してきた。
夏。どうして、私一人で外注検査の結果をМ町に受け取りに行った時に、この人話は良く聞くけど膵臓に関して知識がないんじゃないかって、強い違和感を持った。抗生物質とステロイド万能論なのではないかと。そもそも外注なんだよなと。
過去、難しい検査と何件か言っていたから
そういうものだと思って納得することにしてしまった、普通に小さい動物病院でも院内検査出来る血液検査項目だったのに。なんて愚かでものを知らなかったのだろうか。
あの時の強い違和感は家族にも話した。
ただ、注射針振りかざし滅多刺しが何軒もされ、数倍量を使われ、極めつけは歩くことを奪われ
酷い所があまりにあまり多かった。話を聞くという所で妥協してしまった。
その妥協がいつし頼るかかかりつけにしてしまった。検査結果も誤魔化ししか説明出来ず、
強アルカリであるため静脈に直接投与しては行けない薬剤を禁じられた直接投与されるのが9月20日の一ヶ月後10月20日である。
多臓器不全。
だめだだめだ
あの時も酷い所があまりにあまりに多かった多すぎたと
ただ、注射針振りかざし滅多刺しに何軒もされたり、脚の悪い患畜は診ない雪の日に歩けないと場所取るから外にいてとか、数倍量を使おうとしたり、極めつけは歩くことを奪われ
そして最後は問い合わせても何十軒も脱水が酷いなら輸液が必要だけど病院で死なれたら困るからうちに来ないでくれ。
北海道には血も涙もない、人間の生き血は通ってない医者ばかりだった。
そして血液検査もわからず、検査の数値も説明出来ず、検査にはエビデンスが無い!魔法の薬を使うか抗生物質かだ!
という科学どこに置いてきたのという所ばかり。通ううちに化けの皮が剥がれてくる
病院なんて行くんじゃなかった。
抗生物質は抗がん剤とおんなじなんだ!
危ないそういっていた2022年5月
どうして、それを忘れてしまったのか。なのに、どうして痛み止めを使ってしまっていたのか。
母も腹を病み、私も歯で抗生物質を沢山使ってしまったから腑抜けたか。
血小板10万以下、その恐ろしい意味、ICU基準だということを元町は知らなかった。私も調べるべきだったんだ。
過去に調べたことを見返すべきだった
だめだだめだ
インターチェンジの料金所を過ぎ車がカーブを曲がりきるころ、あの時耳元で約束したんだ「絶対治すからね。絶対良くするから、酸素だから痛いことしないよ。」
「一度は病院行くけど、それだけだから、絶対治して帰ってきて、本州に行こう」
あの子はハニカんでくれたんだ
忘れられない。どうして
その一度をずっとにしてしまったのか。9月20日10:21分出発。
前日午前4時嘔吐
9月12日体重9.1㌔この日マンスリーも同時進行で探し出す
8月25日9.2㌔
7月25日10.1㌔
6月の8.61㌔からのV字回復だった。
7月下痢や僅かな痙攣はあった。でも体重は回復していた。どうして毎日測ると決めたのに測らず
前日、長く弱るだけの札幌行となるなど思わずおでかけしたのは美園と近年になってから頻度が出てきた元々好きじゃなかったふじだった。
そして、弱り足も曲がりペテモで首を痛めつけられ自分で水が飲めなくなって5.9㌔での帰郷。本当に美園への遠出は
笑ってくれた。でもふじは結局行かず仕舞いだ。
ふじきっと行きたかったよね。
そもそも札幌に行くんじゃなかった。
病院の酸素機材が故障したままなんて