もふもふもふもふ ⁽⁽ฅ₍₍⁽⁽ฅ•ω•ฅ₎₎⁾⁾ฅ₎₎
わたしはいぬ
昔ね。初詣なかなか行けてなくて、正月、毎日初詣生きたいって行ってたら、お出かけで初めていく町でゆずにこっちに行く、行くって連れてかれるまま行ったら、神社の参道で、まっすぐ先導さんして歩いていってついてったら丸々しっぽゆれゆれ手水場に寄って、その後本殿の前まで行ったんだ。神社がどんなとこか知ってたんだ。不思議な犬不思議なこだった
神社御参りしたのにな
あのときお腹痛くて座り込んだの。歩けなくて、公園で座り込んで冷えちゃったからヨガマット持ってきて滝川の病院の帰りでも。血栓があったんだ。静脈点滴が必要だったんだ。ずっとずっとずっと苦しかった。足悪くする前もお腹ずっと弱かった。
2022年4月~6月、あのときアミラーゼが高かった。膵臓の影は点滴をなのに受けられず循環血漿が足りなかったから、あのとき膵炎だったんだよ。歩けなくなる直前、レーザーで痛み止めじゃない。なんにもなく輸液だった。ところが酪農は暗記で膵炎にはレペタン(オピオイドκ受容体作動の麻酔薬)って教えられてるから、北海道どこもレペタンレペタンで、こっちに知識なかったら死なせてしまいかねなかった。製薬会社は効かないと明言しているのに獣医では教科書で用いられているんだ。
林道行って、ガサガサっていうたびに車の窓に手をかけて身を乗り出して私の膝に足乗せてさチラチラこっちみてかわいい愛してる
ゆずは丁寧なひとだった。遅く帰ってきて(かわいそうだった)怒った時に、ゴミバコ倒してゴミをひとつずつまき散らした。電話機をさ、電話機に載せてたハンカチを咥えてそっと除けてから受話器を外してそして倒すの。ひとつひとつ所作が丁寧だった。それでいてお転婆で冒険家で遊びずきで
豊橋いたとき吐いたの膵炎だったんだろうな。夏風邪とか言われたけどまともな医者に出会わなかった。肉球だって診察しもしない。みもしない
ずっと膵臓に十二指腸に来ないものってなってて治したかった。食べれるようにしたかった。こんな形で何でも食べれるようになるなんてな。大好きな栗きんとん置いてきた。ろうそく立て買いに行く。
私が泣いてたら涙舐めて一緒にいてくれたり、おどけておもちゃ持ってきてくれた父が散歩中に吐いてたとき凄い心配して、歩けずカートだったのに後ろ振り向いて
yohon.pdf http://www.myofukuji.or.jp/okyo/kanayohon/yohon.pdf
眠ってるみたい
みんな四十九日や初七日帰ってきたもんな
足曲っちゃつってた付け根、やっぱりかさぶたなってて酷い床ずれだった
ロウソクの火が一晩絶やしちゃ行けないのか そうかそうだったな
線香か、
酸素室とか心臓マッサージとか呼吸止まるより前それよりずっと前出来た筈だったのに。2時間も呼吸止まってから頑張ったな。ゆずの心臓
意識ある最後までいたの俺で俺が喉さすってて、どうして呼吸穏やかになったのを喉のつかえが取れたじゃなくて寝付いたんじゃなくて、呼吸がって思わなかったんだろう。俺のせいだ
こんなに天井低かったんだな
心臓マッサージもっと早かったら、まだ生きてた時にって、母が悔いて泣いてる
明日朝どっか病院電話したりしようって朝って
まったりできる一杯を、あなたに。