だめだだめだ
7月、酸素をすればきっと良くなる、膵臓に酸素が行き届くって考えて必死で引っ越し先探して、そのうちに引っ越せばなんとかなるってみんな思うようになってしまっていた。
毎日測っていた体重も測らず、ミネラルビタミンの計算もせず、アレルゲンも脂質も、そして8月脱水が進行していたのも、どうして計算しなかった?
薬の機序も用法もわからない病院ばかり何十軒と存在しているというのに、どうして自分たちでなんとかしようとしなかった。
足悪いのに抱っこばかりつらいかなではないんだ。体重が最も重要なんだそれで現状把握するべき
8月終わりには母も焦ってきて何でまだ引っ越せない見つからないんだお前死ねとかKYだからお前はゴミとか言うようになり、とにかく向こうに行ければ回復出来るのにーその一念はお互い同じだった。それがそもそも間違いだった。
焦りが下痢が最悪になり血尿と嘔吐が出た時マンスリーマンション借りて向こうに行こう。と決めた
もうそれしかこの3ヶ月を取り戻せないと
なぜ一旦V字回復してからの体重減少が脱水であり、6月同様に膵炎であると気づかなかったか。
あの時「絶対治すからね良くするからね」そう、
ついこないだなのに台所まで来てくれたりおでかけしたり…毎日今日はどこ行こうね?って治そうねって
去年のことだった
10月笑ってくれたのに。何もかもボロボロになって手も足も首も眼も奥歯も機能しなくなってどうしてついちょっと前
なのに、眠りについた時は11月と3月の足の変形以外何にも無かったみたいに戻っていて、まるで歩けた頃みたいに接している。姿も見えない
今日は〇〇の住宅街行こうか、〇〇の林道行こう、万字炭山森林公園行こう、図書館の周り散歩しよう、お花見の季節だしお花見行こうって
どうして…どうして…
まるでもう何年も過ぎたみたい。
蝋燭番をして一人で今更おもちゃをふりふりして先月家族全員見てしまった謎の黒い手から護ろうと厄除けに塩撒いて
ついこないだ、つい昨日みたいに駅行こうとか〇〇行こうとか〇〇行こうとか、一緒にワクワクした顔で膝に乗ってきて、
つい昨日みたいなのに
この悪夢の長くて長くてもう3年4年経ったみたいって10月には言っていたこの2023年9月からの1年間があっという間の悪夢みたいで、どうして…どうして
何で札幌に行った何で抗生物質投与した
そこから薬剤性疾患になってたのに